第27回全国削ろう会で 千代鶴是秀

余談   

海老崎粂次(えびさきくめつぐ)さんが話した時なのか忘れましたが、有名な人の話が、出てきました。
あの有名な 大工道具の鍛冶屋で明治 大正 昭和を生き抜いた職人技の凄い人の話です。

千代鶴是秀(ちよづる これひで)の話がですが、懐かしい名前にめぐりあいました。鍛冶屋として稀代の名匠としてその名は知れ渡っています。明治の初めの生まれで、亡くなったのは1957年(昭和32年)84歳の生涯でした。                   鍛冶屋一本で貫き。まさにその道一つで、栄達も望まず、家族の不幸も乗り越えての、職人の生涯だったとうかがいます。

木工具 特に大工道具の鍛冶屋として、カンナ 鑿(大小) 突きノミ 叩きノミ げんのう 切り出し(このかたちは、まさに 想像を絶する品の数々) 彫刻家のための鑿 変わったところでは デバイダー  まさに ものすごい鍛冶屋としての技を生涯貫いた。
まさに 職人は、清貧のうちにこそあるのかな・・・・・と わが身も貧乏・・・・・その点では対等だが、そのおかれた千代鶴是秀の名声とのあまりにも大きな落差に愕然とするばかりです。

跡取りの長男 太郎は、若干27歳の生涯を自死で閉じ、是秀の大工道具の使用者として、大いに名を残した大工 江戸熊などは、戦時中 餓死を選んでいる。
まさに 職人の生涯は、ある面壮絶な生き方もあるもんだと・・・・・・・職人の凄さを感じられずにはいられない。
maeda

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